こま切れ半角 すみ
昭和42年02月12日 夜の御理解
天地の親神様というお方は、結局天地の総支配をなさる方でもある訳です。人間だけの事だけじゃありません。もう一切の事が天地の親神様のお心次第に、いわば動いております。例えば海の水がどれだけでしたかね、くるっと地球のなんか傾きというかね、その具合がちょこっとそのほんの寸分でも違うたら、太平洋の水が富士の山一杯になってしまうそうです。その事から言うても、天地の親神様のその微妙な働きの中にです、又天体なら天体の上でもそうです。
あの星とこの星がその例えば、もし衝突でもしたらその地球が破裂してしまうと言った様な、その天体の一つの運行というものがです。それこそ一分一厘の間違いなく、神様がご支配下さって、生きとし生きるものの上に、特にそうしたお恵みを下さっておる訳ですから。そこをそれと悟らして貰うて、それにいわば天地の親神様のそういう神愛を悟らして貰うて、神愛にこたえ奉る生活をさせて頂く者の上に。
又それと同じ働きが頂けれる訳です。一分一厘の間違いのない、いわばおかげが人間一人一人の上に頂けれる様になってる訳です。そこん所を私共は、我情我欲の生き方をする所に、間違いが起こってくる訳です。いわゆる神様は、そういう意味で素晴らしき、いうならば演出者でおありになる訳ですね。芝居なら芝居の筋書を作られる訳です。筋書通りに私共がいわば動いていけば問題ないのですけども、それを私共が我情我欲で狂わしていく所に、私共の運命迄が狂うてくる訳なんです。
今日はあの青年部の方達と学生会の方達が中心になって、それこそ山と川に御用頂きました。川では青年会長の宮崎さんが引率して、甘木の向こうのなんとか川という所に石を拾いに行かれた。庭をたたむ石なんです。だから山は山でご献木頂いとりました杉の木が百本余り残っとりましたから、それを全部今日は山から持って見えられましてから、全部こちらに植込みが済んだと言う事で御座います。いわば川から本当に今いう手頃の女の女子青年の方達でも持てれる、小さいこの位ばかりの石で御座いましょうが。
そういう石が今日は川から集まったかと思うと。今度は山からそれこそ何屯あるやら分からん、とにかくあの今日高山さんがいうとられるます様に、ちょぃと高山さんが長年庭をしてられるけれども、こういう又素晴らしい庭をしかもこういう素晴らしい大きな石を使う事は、いわば後にも先にも始めてだと言うてから、そのたまがっておられます様にですね、そういう様な今日働きが今日一日の中にあったんです。
皆さん御用を終わってから帰られて、ご直会を頂かれる時ですもん、会長さんの宮崎さんがいっておられます。私先生思います椛目くらい素晴らしい、バラエティに富んだお広前はないと思いますと、私それ聞いてですね意味はようと分からんけれども、おぼろげながら分るんですね。もう本当に成程そういう表現があるんですねぇと。大体バラエティちゃどげなこつですか。
私は大体その所謂まぁ劇的だという訳なんですね。例えばほんなら今日でもほんなら、山と川に御用に頂きに行くかと思うと、大きい石と小さい石がこう集まってくるとかですね。例えば今朝からのご理解を頂いとりますとですたいね。例えば昨日なら、昨日一日だけでも。もう宮崎県の山の奥から、大山さんが出てみえとられる。大分県の山の奥から、佐田さんのご親戚がご夫婦で、昨日は、お礼に出て見えとります。
それから昨日は熊本から、鹿児島県の境といわれる球磨川を、ずうっと逆登ったとこですか、そこの多良木という小さい町から、大田という先生がご親戚の方達をお導きして、皆んなお参りしておられます。これなんかはもう何時もそうちゅう訳じゃないけれども、期せずしてその宮崎県、熊本県、大分県、佐賀県と言う様な所から、しかも山の奥から出てきておられると言う事、椛目へ椛目と言う事。
その事についての意味合いでの、今朝のご理解頂いたんですが。例えば今日いうその、バラエティーという意味合いにおいてですたい。その山奥からそういう各県の山奥にまで、椛目の神様の御ひれいと言うものが、輝き出しておるという事です。今朝でも今朝今日は又それこそ、此処へんはてんやわんやでございました。日曜日でもございましたし。今日はまた、熊本から一組、伊万里から竹内先生方が一組お参りしておられます。そこへ皆んなが一緒になられましてから。
そこで熊本県の多良木の大田先生がお医者さんですから、あすこで色々お話しとられる所へ、丁度小倉の富永さんがお参りしてみえた。富永さんの話をしておる所へ富永さんが参って見えたんですからほらこの事ですよ。お医者さんで大変おかげを受けられた。あのコブが取れた、それでそのびっくりしてですね大田先生が。何時どげな風でおかげ良うなんなさったですか現在はどうですかと言うて、医者は医者の立場としてからですかね。今日はご親戚の目の見えないもう寸前にある、目が両方何か白うなっておる。
その自分の娘の嫁っておる所のお姑親さんをお導きして参っとられました。丁度そういうおかげを頂ける人達が集って来るんです。しかもお医者さんが来る訳ですね。富永さんそしたら小野先生が参って来た。この方は産婦人科の先生で、毎日こうしてお参りされますよというんですね。お医者さんが参り出したら次々とお医者さんが来るんですね。実に嘘の様にいわばバラエティに富んでおる訳なんです。劇的なんです様々な問題がです、一日の中にこうある。
それが何ともひとつのその神様のご演出の元にです。もうそれが多すぎらず、少なすぎらず、タイミングよう素晴らしい塩梅にです。おかげを頂いておるという。それを見てなるほど神様が生きておられるなあと言う事を、椛目の人達は実感する訳なんです。そりゃ天地宇宙一切をご支配になる所の、天地の親神様。それを私は今日は、素晴しい天地の親神様という方は演出家だと。その演出が椛目の場合なんかは小さいほんなら、椛目と言う舞台なら舞台の上にです。
本当にはっきり見せて頂くわけなんです。そこにこういう神様の素晴しいはたらきの中に、ご縁を頂いとる私達ですから、その神様の心沿う又沿い奉る生き方あり道になりさえすれば、私共もああいう一分一厘間違いのないおかげが頂けるんだという。その希望というですか、確信というか、そういうものが頂けてくるのです。それが素晴しいんだというて、その先程ご直会頂きながら、青年会長の宮崎さんと皆んなと話合った事で御座いますけれどもですね。
お互いそういう特別な神様のお働きを頂いておる中に、ご信心の稽古させて頂いとると言う事がありがたい。はぁちょいと素晴らしい事じゃある。ほんに不思議なごたる、というとるだけでは駄目だと。自分自身が素晴らしい事だと、自分自身が不思議というまじきものぞと仰るけれども、不思議と言わにゃおられんという程のおかげをです、自分が日々体験の上に、神様をそうして現わしていき、自分が頂いて行く所のおかげを頂いていかねばならんという事ですね。
どうぞ。